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創業ストーリー
SOTOYA story


初代社長が自宅を建て替えで目の当たりにした問題をきっかけに、わずか3人の社員でスタート。ここからそとや工房の歴史が始まります。

そとや工房のはじまりは、自分の家づくりからでした。

運良く隣の土地を買うことが出来たのもあって、1997年、家を建て替えることにしました。
大手ハウスメーカー、ビルダー、地元の工務店。満足のいく家を建てたい!といろいろな所に声を掛けました。しばらくすると、それぞれが設計図面を持って自信満々にプレゼンしにやってきます。「ここがポイントなんです!」
「ここを工夫しました!」どれも、とっても素晴らしい間取りだったけれど、私はガッカリ。
なぜなら…

 

どのハウスメーカーも、敷地に目いっぱい家の設計図を描いてきた。

 

しかも、家の外構に関する提案はゼロ。せいぜい駐車場くらいでした。

我が家は団地でも一番奥にあり、裏はため池。レースカーテンを閉め切って過ごすのが嫌いな私は、敢えて裏に家がなく、視線を気にしないで窓を開けられるその土地を買っていたし、その思いも伝えていました。
どんなプランが出てくるのかと楽しみにしていたのです。

もちろん相手もビジネスですから、家が大きければ大きいほど、ハウスメーカーはその分大きな売り上げになるでしょう。しかし、

 

庭も含めて家ではないか?

窓から見える景色だってインテリアの1つじゃないのか?

内から見る庭、外へ見せる庭、家族が楽しむ庭。そこまで考えての間取りではないのか?

 

私は彼らの意識の低さに愕然としました。
住宅に関しては様々なデザインが出てきていたけれど、それに見合う外構が全くなかったのです。庭は土のまま引き渡され、後は知りませんという場合も多かった。その姿はまるで荒野の一軒家のよう。外構業者はもう自分で探すしかない!そう思ったのでした。

目の当たりにした現実。

外構業者探しが始まりました。当時はスマホどころかインターネットすら普及していない頃。タウンページに載っている所以外はなかなか見つかりません。ところが、やっと見つけた外構業者に提案をお願いしてみても、

 

当時の外構の定番、ブロックにアルミフェンス、カーポート。

で終わり。ほとんどがハウスメーカーの下請け業者でしたし、それが一般的で、それ以上の提案もありません。これではダメだと、今度は造園業者に聞いてみましたが、提案されたのは

 

よくある日本庭園スタイル…

またどちらも

 

・不透明な一式の見積もり

・完成形が事前に分からない

という業界の「当たり前」が横行していたのでした。

散歩したくなる街づくり

当時、建設業を経営していたものの、ゼネコンの下請けだったために「ただ安ければ良い」という論理を強制されました。建築現場では、「もう少し外構の予算を増やせばもっと住みやすく、建物自身も良く見えるのに!」との思いで様々な提案をしましたが、下請けの立場では意見は全く通りません。

 

もっと、家や土地の形状・家族構成に合わせたデザインで、住む人の趣味やライフスタイルを考えた庭づくりを提案したい

 

見積を明瞭にし、お客様が不安にならず納得して頼めるようにしたい

 

住宅メーカーの下請けではなく、直接お客様と出会うことで不要となる中間コストを利用して、同じ価格でお庭をワンランクアップさせたい

 

想いが溢れてきて、もう自分の中でやらない理由はありませんでした。

 

団地が、それぞれの家が、いろんな庭を作ったら街並みも素敵になる!【散歩したくなるような街】を作っていきたい!そんな想いで2000年、ついにそとや工房が誕生しました。

 

外構は白、黒、茶など落ち着いた色を基本としていますが、そこにほんの少し色を加えるだけで、お庭が活き活きとしてきます。それはファッションに加えるアクセサリーやスカーフのようなもの。差し色ひとつでもお庭は美しく、楽しくなるものです。

 

毎朝、毎晩何気なく通る玄関まわりから、日本の暮らしに彩を添え、毎日を気分よく、また庭空間を通じて暮らしをより良いものにしていくのが私の夢であり、当社の使命です。

初代社長 北居伸夫